カルチャー心酔雑記

モラトリアムが延長戦に突入した大学生が、カルチャーとイチャイチャした記録です。

『娚の一生』に見る内なる異性と理想の結婚

「床ドン」と「足キス」で話題だそうですね。

 


映画『娚の一生』特報 - YouTube

 

年明けに公開を控える本作ですが、個人的には映画を観るよりも原作を読んでほしいと思う。先日読み返したところ、素晴らしい作品だと改めて思ったので、何が素晴らしいのか考えてみました。

娚の一生(1) フラワーコミックスα

娚の一生(1) フラワーコミックスα

 

 

主人公は30代半ばの女性、堂園つぐみ。彼女の祖母の葬儀の場面から物語は始まります。彼女、ものすごいエリート。東京の電力会社で働いており、その若さでひとつのプロジェクトを任されるほど優秀なのですが、既婚者の男性と関係を持っていた過去があります。不倫関係を何とか解消した彼女ですが、すべてに疲れ、「人生を見つめ直したい」という名目で長期休暇を取って故郷に戻ってきていました。祖母の葬儀を取り仕切り、一息ついたと思ったら、なんと祖母宅の離れに見知らぬ壮年の男性がいる。海江田と名乗ったその男は大学で哲学を教えている大学教授だという。聞けばどうやら、彼は過去に祖母と関係があったようで……。というのがおおまかなあらすじ。

 

注目したいのは、つぐみと海江田がそれぞれどんな女性でありどんな男性であるのか。そして、そんな2人の関係性です。

 

「女性であっても男性であっても、内面には内なる異性性を備えており、1人の人間の中には女性性と男性性が共存している。」

エンマ・ユングは、この内なる異性性をアニマ、アニムスと名付け、上記の説を唱えています。

ここで言う女性性、男性性とは、「セックス」というより「ジェンダー」。「社会的、文化的性差」を指します。要するに社会に背負わされる「男らしさ」「女らしさ」のこと。その前提で、つぐみと海江田の内なる異性性を見てみます。

 

働く女性、つぐみ

まず、女性側のつぐみ。前述の通り、彼女、かなりのエリートです。おばあさんの葬儀の際は長期休暇を取って帰省していましたが、その後、在宅勤務に切り替えて、故郷へ留まることを決めます。在宅でも支障なく働き続けられるくらいに優秀なのですが、それに加えて、身の回りのことは基本的に何でもできる。家事はもちろん、電機メーカーに勤める理系女子なので、電化製品の修理もやってのけてしまう。女性の一人暮らしでは不便も多かろうと下心で寄って来る故郷の男性たちの出る幕がないほど、1人で何でもこなしてしまいます。

そんなつぐみが女性として周囲からどう見られているのか、というのが描写されているのが以下。

つぐみちゃん あんた 気が利きすぎよ

もう少し ぼんやりしてれば いいのよ (第1話)

 これ、舞台が結構保守的な田舎ってこともあるのですが、まあ、そう言われますよねー、って感じ。仕事に限らず何でも1人でできてしまうつぐみは、しばしば「可愛げのない女性」と周囲に揶揄されます。女性らしさを駆使して男性の庇護の下に入るよりも、1人で働いて、身の回りのこともこなして、ということができてしまう。いわば、「男」のような生き方ができてしまう女性なのです。

…なんちゅうかつぐみさんって 男やね…(第14話)

…いや 家を持つような女は結局「男」だよ(第14話)

一つ目は仕事で奮闘するつぐみを見て、彼女にアプローチしていた男性が述べたセリフ。二つ目は、祖母の家を正式に相続することになったつぐみに対して、親戚が述べたセリフです。このように、周囲の人間から見ても、つぐみは「男並み」の行動を取っている。彼女が男性的な側面を備えていることを決定づけるかのような描写です。

 

このような見られ方をつぐみがどう捉えているのかというと、これが特に気にしてはいない。物語が進むにつれて、彼女は故郷で地熱発電事業に取り組み始めるのですが、周囲に何を言われようが気にせずにそれに打ち込む。それどころか、働いているときが最も生き生きしていると言っても過言ではない。

自分の幸せってなんだろう(中略)

あえていえば仕事がうまくいったときすごく幸せと思う(中略)

そうだ わたしは勉強が好きだ 仕事が好きだ それじゃダメなのかな…

 過去の辛い恋愛から「幸せ恐怖症」とでも言うべき症状に悩まされている彼女は、「恋愛関係において幸せになること」に強い恐怖心を抱いている。というより、男性との関係においてどうやって幸せになったらいいのかわからない。それゆえ、海江田のアプローチには非常に困惑します。そんな彼女が作中、「自分はこれが幸せ!」と自覚している場面がいくつかあるのですが、それはすべて仕事に打ち込む場面や、自分が働いた結果誰かを助けた場面。男と同等に働けてしまうだけでなく、自身が「働く」ことで自己実現を図ることができるタイプの女性なのです。

 

ニュータイプの王子様、海江田

で、そんなつぐみのお相手となる海江田先生。メガネで京都弁、哲学を専門とするインテリ大学教授で、大人の知性と母性をくすぐるような子どもっぽさを併せ持ち、壮年の色気が凄まじくにじみ出ている…と、50代であっても、女性にとって何とも魅力的に映る男性です。なんというか、文化系女子がとても好きそうなスペック……。いわゆる「枯れ専」というか、壮年の男性をお相手として描いた少女漫画の先駆けがこの『娚の一生』であると思うのですが、海江田先生は、いわばそれを象徴するニュータイプの王子様です。

つぐみが「内なる男性性の強い女性」であるとすれば、彼は「内なる女性性の強い男性」として描かれています。

ぼくは言葉を失いました

なぜか "世界"が一瞬にして理解できた気がしました

考えてもいないのに なぜぼくは今理解したんやろう

それは人生が変わる経験でした(第6話)

 大学生当時、すば抜けた頭の良さゆえに「人間のことや世の中のことは頭で考えたらなんでもわかる」と考えていた海江田青年。彼の価値観がひっくり返ったのがこの場面です。染色家であったつぐみの祖母の作品を見た海江田は、「知識や理屈を超えた何かがこの世には存在する」と考えるようになります。(そしてこれがきっかけで彼はつぐみの祖母に熱烈な恋心を抱くことになる。)

 

君は傲慢やな ひとりでは認められへんというのは違うよ

ひとりでなんでもできると思てるその思い上がりが信用ならんということなんや(第14話)

 仕事に邁進するも、「その歳になっても結婚していない人間は信用できない」と地元の理解が得られず不満を漏らすつぐみに対し、海江田はこのように諭します。男性性を内包しバリバリ働くつぐみに不足している点をずばっと言い当て、穏やかに諌める役割を担っている。いわば、つぐみの男性性と対となる内なる女性性を連想させる、たおやかな感性の持ち主なのです。ていうかこんな素敵な男性にこんなこと言われたら…!

 

ひとりの人生をふたりで歩む「結婚」

最終的には結婚に至る2人ですが、この関係性が従来の恋愛もので描かれるものとはちょっと違う。

序盤から積極的につぐみにアプローチをかける海江田ですが、前述の通り「幸せ恐怖症」のつぐみ、一筋縄ではいかない。が、注目すべきはつぐみに対する海江田のスタンスです。

ぼくは「結婚しよ」と言うてるだけや 「幸せになろ」なんか言うてへん(第12話)

 これですよ。彼は「自分が幸せにする」とは決して言わない。それどころか、「それは自分が関知するものではないから、君が勝手になってくれ」という姿勢でつぐみにプロポーズします。従来の少女漫画であれば、直接的でなくても「結婚する=幸せになる」と描かれるところでしょうが、その通説を真っ向から覆している。

でもこれ、海江田先生が言ってることってわかる気がするんだな…。私自身、「誰かに幸せになってほしい」って気持ち自体はとても素敵なものだと思うのですが、「自分が幸せにしてあげよう」って考えはおこがましいと思ってしまう。「幸せはしてもらうものでもしてあげるものでもなく、自分でなるもの」ってことなのでしょう。

 

そして、2人の関係性を最も適切に表現した描写がおそらく以下。

君はひとりで生きていったらええ

ぼくもひとりで生きていく

ふたりして ひとりで生きていこや…(第15話)

 「一緒に生きる」のではなく、「ひとりで生きていく者がふたり並んで歩いて行く」。これが海江田がつぐみに提案する2人の生き方です。男性性が強めで自分の能力で自己実現を図ることに喜びを感じるつぐみにとっては、これ、とても合っている結婚の形であると思う。前述の通り、彼女が「幸せ」を感じる瞬間は、仕事で成果を出すこと、誰かの役に立つことなので、彼女はそちらのフィールドで自力で「幸せ」を感じることができる。「男性との関係において幸せにならなければいけない」という呪縛から解き放たれるのです。

 

ひとりじゃないってことはこういうことなのかもしれない

私だけでは引き受けられないものを

半分引き受けてくれる人がいる(第11話)

それぞれの人生を生きながらもひとりではない。自分の人生を生きながらも、喜びや悲しみを分かち合える人が隣にいる。2人の結婚はいわば、これからの人生を強く生きるための結婚なのでしょう。うやらましい…こんな結婚ならしたいよ…。

 

そして、タイトルの「娚」という字は、内なる異性が強いつぐみと海江田を表す記号として、そしてそんな2人がともに歩む姿を指して使われてるものと思われます。

 

そのような形態の結婚を描きながらも、恋愛のロマンチックさが失われていないのがこの漫画のすごいところ。特に、若りし頃、つぐみの祖母へと抱いた海江田の恋心が、35年の時を経て孫のつぐみを相手に成就するシーンは非常にロマンチックです。ラブストーリーとして見てもとても素敵な作品なのです。

最終巻の4巻では14年後の2人の様子がちょっとだけ描かれているのですが、相変わらずばりばり働くつぐみは、地熱発電事業に成功し、会社を興しています。(2人の息子も登場するのですが、これがまあ賢そうなイケメン。)

 

ちなみにこれが映画版になると、つぐみは無職という設定なんだそうなんだな…。なんでそうなった…。